悩みを聞いているうちに、自分まで気分が重くなってしまう。
相手の感情を大事にしすぎて、自分の気持ちをあとまわしにしてしまう。
気がつくと、人と話したあとにどっと疲れている。
そんな経験はありませんか。
それはもしかすると、
「相手に共感しすぎて、心が疲れてしまっている状態」
なのかもしれません。
「共感」とひとことで言っても、関わり方には違いがあります。
その違いを意識せずにいると、気づかないうちに自分の心を消耗してしまうこともあるのです。
この記事では、共感を
「同調する共感」と「尊重する共感」
という2つの視点に分けて整理しながら、心を守る関わり方のヒントを見つけていきます。

共感することと、自分の意見を守ることは両立できます。
相手も自分も大切にできる「尊重する共感」について、
一緒に考えていきましょう♪
- 人と長く話すと疲れてしまう
- 人の感情に引きずられてしまうことがある
- 本音が言えないと感じることがある
「共感」には2種類ある
心理学では、「共感」は主に次の2つに分けて考えられています。
- 情動的共感(相手と同じ気持ちになる)
- 認知的共感(相手の気持ちを理解する)
この2種類の共感について知ることが、共感に疲れてしまわないための大切なポイントとなります。
それぞれどのような特徴があるか、順番に見ていきましょう。
①情動的共感(相手と同じ気持ちになる)
情動的共感とは、相手と同じ感情になるタイプの共感です。
例えば、
相手に起こった出来事を、まるで自分も体験したかのように捉えるというのが特徴です。
気持ちを共有しているという実感が強いため、一体感が生まれやすく、「わかって貰えている」という安心につながります。
会話の中で使う言葉にするならば、
「私もあなたと同じ気持ちだよ」
と表現することができます。
②認知的共感(相手の気持ちを理解する)
認知的共感とは、相手の気持ちを客観的に理解する共感です。
例えば、泣いている人を見たとき、「この人は今、悲しい気持ちなんだな」と一歩引いた視点で感情を捉えるのが特徴です。
会話の中で使う言葉にするならば、
「そう思う気持ちはわかるよ」
と表現することができます。
自分自身の感情とは必ずしも一致していなくても、「感情の理由は理解できる」というのが認知的共感です。
情動的共感と認知的共感の違い

情動的共感と認知的共感の違いについて、具体的な場面で考えてみましょう。
上のイラストは、「猫を見たときの共感の違い」をまとめたものです。
友達が猫を見て「かわいいね」と言い、自分も「かわいいね」と返したとします。
同じ言葉を使っていても、自分の本音には2つのパターンがあります。
このように、同じ言葉でも
によって、共感の中身は大きく異なります。
認知的共感は相手の感情を客観的に捉えるため、場合によっては少し冷たいように感じられることもあります。
しかし、認知的共感と情動的共感は同じくらい大切なものです。
なぜなら認知的共感は、自分とは違う意見であっても、相手の感じていることを否定せず、尊重する関わり方だからです。
そしてこの認知的共感こそが、共感しすぎて疲れてしまわないための重要な鍵となります。

- 情動的共感=同調する共感
- 認知的共感=尊重する共感
と考えるとわかりやすいですね。
共感はなぜ大切なのか

共感は、人と人との関係を築くうえでとても大切なものです。
「わかってもらえて嬉しい」
「同じ気持ちでホッとした」
そんなふうに感じた経験は、多くの人にあるのではないでしょうか。
共感疲れについて考える前に、なぜ共感が大切なのか、理由を簡単に整理しておきましょう。
現代では、社会全体でも共感が重視されています。
SNSの普及によって、共感が目に見えるかたちに変換される場面が増えました。
たくさんの人にフォローされていたり、いいねが付いている投稿を見ると、それだけで影響力のある人だと感じることもあるでしょう。
可視化された共感は、今では人を惹きつける力や影響力のひとつとしても捉えられるようになりました。
このように、共感は
の両方を持つからこそ大切とされているのです。
共感することに疲れてしまう理由

共感は、人間関係においても、社会の中でも大切な役割を持っているということがわかりました。
だからこそ私たちは、「共感することは大事だ」と感じ、相手に寄り添おうとします。
しかしその一方で、共感しようとするほど、かえって疲れてしまうことがあるのも事実です。
共感しすぎることで疲れてしまうのには、大きく分けると2つの理由が考えられます。
- 相手の感情に合わせすぎてしまう
- 同じ気持ちになれない自分を責めてしまう
それぞれ詳しく見ていきましょう。
①相手の感情に合わせすぎてしまう
相手に同調する感情とは、本来は意識しなくとも自然に湧いてくるものです。
でも、人の気持ちに敏感だったり、日ごろから相手の意見を優先することの多い人は、自分の気持ちを抑えてまで相手に合わせようとすることがあります。
共感が一種の同調圧力のように働いてしまうのです。
その状態が続くと、
といったかたちで、心の負担が大きくなっていきます。
相手に寄り添おうとするほど、自分の気持ちとのバランスが崩れてしまう、ということが起こるのです。
日本は特に「空気を読む文化」が強いため、気づかないうちに無理をしてしまうことも珍しくありません。
②同じ気持ちになれない自分を責めてしまう
反対に、相手と同じ気持ちになれないことで、自分を責めてしまうこともあります。
例えば、「悲しんでいる人と同じ温度で悲しめない」といった場面です。
このようなとき、「私は冷たい人なのでは?」と感じてしまうことがあります。
「同じ気持ちになれないのは良くないこと」と考えてしまうと、
といった状態になり、どんどん自分自身を苦しくしてしまうのです。

2つの共感疲れは、どちらも
「共感=同じ気持ちになること」
という思い込みによるものです。
では、この思い込みが生まれる背景についても見ていきましょう。
「共感=同じ気持ちになること」というイメージ

「相手の気持ちを考えてみよう」
「自分だったらどう思う?」
子どもの頃に、こんな言葉をかけられた経験はありませんか。
私たちは学校での教育など、人との関わりの中で、「相手の立場に立って考えること」を学んでいきます。
これは、人が成長するうえでとても大切なプロセスです。
子どもは最初、自分中心の視点で物事を捉えやすいと言われています。
「自分だったらどう思う?」
という問いを通して、他人の感情を想像する力を育てていくのです。
一方で、大人になるにつれて、共感のしくみはより複雑になっていきます。
異なる環境や経験を積み重ねることで、人それぞれの考え方や価値観が少しずつ形成されていきます。
その結果、同じ出来事に対しても
といった個人差が生まれるようになります。
共感できることと、できないことがはっきりしてくるのです。
しかし、子どものころに学んだ「共感=相手と同じ気持ちになること」というイメージのままでいると、
といった状況に直面したとき、「相手と違う気持ち=良くないこと」と強く感じてしまうのです。
その結果、共感するために自分の意見や気持ちを抑えて相手に合わせようとしてしまいます。
これが、共感に疲れを感じてしまう理由です。
共感しすぎて疲れないために大切な「距離感」

ここまで見てきたように、共感というと「相手と同じ気持ちになること」だと思われがちです。
しかし実際には、相手と自分の気持ちを完全に一致させなくても、共感を示すことはできます。
そのために大切なのが、「尊重する共感(認知的共感)」という考え方なのです。
尊重する共感とは、相手の感情を受け止めながらも、自分の感情もなかったことにしない関わり方です。
「あなたとは違う意見だけど、気持ちはわかるよ」
という共感のしかたがあっていいのです。

例えば「わかるよ」という一言も、
「あなたと同じ気持ちだよ」
「あなたとは違う意見だけど、気持ちは理解できるよ」
という、どちらの意味でも使うことができます。
大切なのは、自分が今どちらの意味で使っているのかに気づくことです。
それだけで、自分の考えや気持ちを守りながら、人と関わることができるようになります。
この「境界線」を意識するだけで、共感という言葉の捉え方が大きく変わります。
共感することと、自分の意見を持つことは両立できる。
それを知ることで、人間関係はもっと楽になるのです。
おわりに
今回は「共感しすぎて疲れる理由と、”尊重する共感”で心を守る方法」についてご紹介しました!
相手の気持ちを理解しながら、自分の考えも大切にする。
この関わり方が、「尊重する共感(認知的共感)」です。
ちょっと疲れたなと感じたときは、「同じ気持ちになれているか」だけでなく、「相手の気持ちを理解しようとしているか」にも意識を向けてみてください。
それだけで、相手を認めながら自分の心も守ることができるようになります。
共感のしかたを少し変えることで、人との距離感はきっと今より楽になるはずです。
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