人との会話で、趣味の話題になることってすごく多いですよね。
「趣味はなんですか?」
この質問に、即答できますか?
私は今でこそこの質問に即答できますが、以前は特になにも楽しいと感じない、「無趣味な人」だった時期があります。
そしてこの「無趣味な人」だった時期は、心にずっと「さびしさ」を抱えている時期でもありました。
趣味がないと、さびしく感じる。
だけど、「趣味のない時間」には、本当になんの意味もないのでしょうか。
本記事では、「趣味がないことのさびしさの理由」や、「趣味のない時間が秘めた本当の価値」について考えていきたいと思います。
趣味を持てない…なぜ?
自分の好きなことがわからない
趣味とまで言い切れなくとも、「自分はこれが好き」と思えるものはありますか?
もしなにも浮かんでこないのであれば、このようなことに心あたりはないでしょうか。
- 子どもの頃、好きなことに没頭する経験が乏しかった
- 一般的に見て正解だと思う生き方を選んできた
- 効率や生産性を優先してきた
やりたいことより「やるべきこと」を重視してきた人に多い傾向です。
好きなこと・楽しいことをあとまわしにする習慣が染みついてしまっているのです。
この状態が長く続くと、物事を楽しいと感じる心のアンテナがどんどん弱くなっていきます。
そしてふと立ち止まったときに、「そもそも自分は何が好きなんだろう?」とわからなくなってしまうのです。
疲れて趣味について考える余裕がない
激務のなかの貴重な休み―。
今日くらいなんにもしないでゆっくり過ごしたい…って思いますよね。

「ただ寝る」「ぼーっとSNSを眺める」だけで一日終わっちゃう。
次の休みこそは有意義に過ごしたい!と思うけど、また疲れて、寝て、その繰り返し…。
趣味の内容にもよりますが、どんなものでも大なり小なりエネルギーを消費します。
趣味を楽しむには、ある程度の元気が必要なのです。
また、いまはSNSやネット動画で強い刺激を簡単に得られる時代です。
わざわざ決まった趣味を作らなくても、「そこそこ楽しく過ごす」というのはいくらでもできてしまいます。
「趣味はコスパが悪い」
こんなふうに思ってしまう人もいるのではないでしょうか。
他人の意見に左右されている
趣味を否定されると、その言葉がいつまでも心の中に残り続けてしまうことがあります。
「それ趣味なの?ダサくない?」
と誰かから言われたことで、自分の好きなことを隠すようになる人もいます。
特に、最近はSNSなどで、他人の余暇の過ごし方を目にする機会が圧倒的に増えました。
キラキラした趣味を持つ人と比較して、「自分の趣味って、しょうもない…」と感じ、だんだん楽しめなくなってしまう…なんてこともあると思います。

こどもの頃ゲームが大好きだった筆者は、メイクやファッションに興味のある同世代の女の子たちに馴染めませんでした。
「ゲームなんかやってて何が楽しいの?」って言われたときは傷つきましたね。
自分の「好き」を否定された経験は、大人になっても尾を引きます。
向上心・完璧主義の罠
向上心の強い人は、趣味を仕事のように捉えてしまうことがあります。
「やるなら上手くならなきゃ」
「成果を出さないと意味がない」
このように考えてしまうと、純粋に楽しめず挫折する原因となります。
完璧主義的な思考が強すぎるのも要注意です。
行きすぎた理想の高さは、自己肯定感の低下を招くことがあります。
「完璧にできない自分にはセンスがない」という思い込みが生まれ、諦めてしまいやすくなるのです。
お金・時間・場所の制限がある
「やってみたいことはあるけど、道具が高くて買えない」
「時間が不規則で継続できない」
「家の中ではできない」
など、物理的な制約によって趣味が定着しない人もいます。
始めるためにある程度環境を整える必要がある趣味や、特別な場所に行く必要がある趣味などが、これに当てはまります。
例)旅行、楽器演奏、キャンプ、一部のスポーツ
このケースの人は自分の好みを自覚できているので、お金や時間などとのバランスが取れるようになれば、自然と行動を起こせる可能性があります。
準備が整うまでは、今できる範囲で小さく始めてみてもよいかもしれません。
趣味がないと、どうしてさびしく感じるの?
「他者との比較」が生まれるから
SNSや日常会話では、
「週末はライブ参戦」「最近○○にハマってて」
など、趣味が話題になることが多いです。
その中で自分だけ語るものがないと、仲間はずれ感や劣等感をいだきやすくなります。
同じ話ができない、あるいは同じ熱量で語れないときに、他の人との距離を感じてしまうことがあるかもしれません。

趣味の話って、会話の「共通言語」みたいなところがありますよね。
その言語を知らない・持ってないと一気に置いてけぼりになるんです。
相づちを打つしかできないときって、ちょっとさびしい…。
「自分らしさ」の輪郭がぼやけるから
趣味はアイデンティティの一部としての側面も持っています。
自分自身について語らなければいけないときに、「私は○○が好き」と言い切れるものがあると、自分という存在に手応えを感じやすくなります。
この手応えは、自信や安心につながる大切な感覚です。
逆にそれがないと、「好きなものすらない自分って何なんだろう」と、心細くなってしまうのです。
「生きがい」や「楽しみ」のイメージが湧きにくいから
趣味は日常に小さな達成感や喜びを与えてくれるものです。
直接的なメリットや生産性がなかったとしても、「自分の好きなこと」はそれだけで心を満たしてくれます。
「生きがい」や「楽しみ」などと言い換えることのできる感情です。
このような心の隙間を埋めてくれる趣味がないと、まるで自分には仕事しかないように感じて、空虚さ(=さびしさ)が育ってしまうこともあります。

「無理に趣味を探さない」という選択肢があってもいい
ここまで「趣味を持てない原因」や、「趣味がないことによるさびしさ」について綴ってきました。
ですが、趣味がないことは、本当にマイナスな要素ばかりなのでしょうか。
ここからは、「無理に趣味を見つけなくても良いんじゃないか」という視点で考えていきたいと思います。
無趣味がプラスに働くシチュエーション
趣味がないことの、ポジティブな面を探してみました。
こうして並べてみると、意外とプラスな部分も多くありますよね。
趣味がないからこそ、自由で、視野が広く、人に共感できる。
この柔軟性の高さこそが、いつか「本当に自分に合っているもの」に出会わせてくれる可能性もあります。
新しく出会う好きなものに期待しながら生きていくのも、人生の楽しみ方のひとつな気がします。
趣味がないことを「欠け」ではなく「余白」と捉える
趣味がないことを、なんとなく「足りない」「欠けている」と捉えてしまいやすいですが、実際はそうでもありません。
決まった好きなことがないからこそ、新しい何かと出会ったときに素早く行動できます。
行動するというのは、自分に「余裕」がなければ意外と難しいです。
また、人生には自分がどんなことを好きなのかじっくり考える時間も必要です。
自分の感性が何を求めているかに耳を澄ます「模索の時間」と言えるかもしれません。
趣味がない時間を、行動したくなった時のための「余白」としてとっておいてもよいのではないでしょうか。
趣味は「たまたま見つかる」こともある
「趣味は持つべきもの!」
と焦らなくても、ふとしたきっかけで出会うこともあります。
自分の好きなものが、最初から自分の身近にあるとは限りません。
「たまたま見つけた」ものが、その時の自分にピッタリはまることもあるのです。
見つけようと思って躍起になっているときほど、案外見つからなかったりもします。
探すのをやめた時 見つかる事もよくある話で
と、井上陽水さんも「夢の中へ」という曲のなかで歌っていますよね。
日々の生活の中で、ふと「これちょっと楽しいかも」と思える瞬間があったなら、その気持ちを大切に育ててみるのもいいかもしれません。
「ない」をそのままにして、受け入れる心地よさ
足りないものを補おうとするより、「いまは、そういう自分なんだ」と一度受け入れる視点も大切です。
頑張って趣味を探してみても、全然興味が湧かないこともあると思います。
もしかしたら、あなたは今こんな状況ではないですか?
- 大きな悩みごとを抱えている
- 重大な決断を迫られている
- 大切な何かを失ったばかりだ
もしこういった状況であるなら、あなたの心は今すでにほかの何かでいっぱいになってしまっているのだと思います。
趣味や、好きなことが入り込む余地がないくらいに。
もともと趣味がある人であれば、没頭することで心が癒されることもあると思います。
つらいときこそ、「好きなものが持つ力」というのは偉大なのです。
でも、趣味がない状態のときに、無理して好きなことを探そうとするのは、「苦しさ」につながることもあります。
ただでさえ余裕のない自分から、さらに余裕を奪いにいっているようなものです。
だからいまは、こんなふうに考えてみてはどうでしょうか。
今は自分にとって、より大きなものと向き合う時間。
もしくは、なにかと向き合おうとすることはやめて、一旦ありのままの自分を見つめなおす時間。
いつかまた、「好きなものに出会いたい」と思ったときに、趣味はあなたに寄り添ってくれるはずです。
おわりに
「趣味はなんですか?」と聞かれたとき、自信をもって語れる趣味があるのは、本当にすばらしいことです。
趣味は人生を楽しく生きていくうえで必要な、かけがえのないものだと思います。
でも、たとえ今それがなにもなかったとしても、焦らなくていいのではないでしょうか。
小さな「好き」を拾い集めるところから始めたら、いつかそれが「趣味」に育つかもしれません。
その日が来るのを、静かに待ってみてもいいと思うのです。
もし、「やっぱりなにか趣味があるといいな」と思ったら、日々の小さな楽しみ方について綴ったこちらの記事がオススメです。
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