「言いたいことが言えない。でも、言いすぎても怖い」
伝え方って、本当に難しいですよね。
ひと昔前までは「空気を読む」というスキルが重視されてきましたが、今は積極的な発言や発信が求められる時代…
令和のコミュニケーションって、一体なにが正解なのでしょうか。
「空気を読むこと」と「自己主張をすること」の狭間にある、「ちょうどいい自己表現」について考えていきたいと思います。
・自分は違う意見だけど、場の空気を壊しそうで言えないことがある
・SNSで正直に言ったら、炎上するんじゃ…と考えてしまう
・自己主張の強い人ばかり、得しているような気がする
「空気を読む」が最強スキルだった時代
言葉にしないことが美徳という考え方
・阿吽の呼吸
・以心伝心
・暗黙の了解
これらの言葉はどれも、何も言わなくてもわかる・理解できるということを表すことばです。
日本では古くから、言葉にしないコミュニケーションが美徳とされてきました。
相手の感情・状況を想像し、配慮することが思いやりであり、気遣いだと思われてきたのです。
ストレートに伝えることが、時に攻撃的と受け取られる場面もあり、あえて言わないことがマナーという考え方が浸透しました。
これは、人間関係を壊さない・争わないための知恵であり、ある意味での「やさしさ」であったといえます。
出る杭は打たれる文化
日本では、個人よりも集団や調和を優先する文化が重んじられてきました。
例を挙げると、
- 学校教育…運動会の行進、制服、声を揃えるあいさつ
→こどもの頃から浮かない・目立たないように育てられる - ビジネス…終身雇用、年功序列
→組織に従順でなければ出世しづらい
このような教育や風潮が存在しました。
そのため、「意を唱える」「突出する」といった行動は、秩序を乱すものとみなされやすかったのです。
この結果、出る杭(=目立つ存在)は、全体のバランスを保つために打たれる社会ができあがりました。
令和では「言わなきゃ伝わらない」時代に
社会の多様化と価値観の変化
令和の社会は、今までに比べてさらに多様性を受け入れる方向へ進んでいます。
みんな同じであることよりも、それぞれが違っていいという考え方が広まってきています。
これによって、「同調より対話が大切」という新たな価値観が生まれました。
対話とは、自分を知ってもらうための行動であり、同時に相手を知ることでもあります。
お互いをわかり合い、より深く理解し合える関係を築きたいという願いでもあるのです。
心理的安全性と積極性
ビジネスの現場でも、「心理的安全性」という概念が注目されています。
心理的安全性とは、誰もが安心して自分の意見を言える雰囲気のことです。
これがあると、組織の創造性や生産性が上がるとされています。
従業員の意見を取り入れることで、働きやすさ・風通しの良さを大切にしつつ、組織を成長させることが可能です。
逆を言えば、同調するだけではむしろ責任感が薄く、当事者意識が低いと見なされてしまうこともあります。
自分の意見を言えることが、積極性の証明となっているのです。
結果として、会社に従順であることよりも、自分の意思を明確に伝えるスキルが評価されるようになりました。
対面からリモートへ、生活環境の変化
察する文化が根強い日本社会ですが、言葉にしなければ伝わらない場面も増えました。
SNSやリモートワークの普及により対面で接する機会が減り、相手の様子から察することが困難になりました。
言葉を使わないコミュニケーションが通用しなくなってきたのです。
「空気を読んでなんとなく合わせる」ができなくなった分、自分の気持ちをどれだけ的確に言葉にできるかが、意思疎通のカギになりました。

言えるようになったことで生まれた別の問題
「自分の正しさ」が暴走する
自己表現が推奨される時代になり、「自分の考えは大切にしていい」というメッセージが広がりを見せています。
しかし、一部ではそれが、
「自分の考えこそが正しい」→「違う意見は間違い」
という思考に変わってしまっている場面が数多くあります。
異なる価値観に対して過剰に攻撃的な姿勢をとってしまうと、それは自己表現とは別物になってしまいます。
SNSの特性が拍車をかける
SNSは人と人をつなぎ、情報交換をしながら関係を深めることのできる、令和の時代になくてはならないサービスです。
しかし、様々なメリットがある反面、行き過ぎた自己表現を助長してしまう要素もあります。
- 匿名性:素性がさらされないことで、発言に対しての責任感が希薄になる
- 過剰な共感:同じ意見の人に囲まれて、自分が正しいという確信が強まる
- 拡散力:ひとつの投稿が一気に広がり、大きな批判や炎上につながる
このような特性から、SNSでは「共感疲れ」や「攻撃の連鎖」が生まれやすくなっています。
空気を読まない他人に厳しすぎる空気ができていると感じるのも、こういった背景が関係しているのです。
ちょうどいい自己表現とは?
それぞれの時代の「生きづらさ」の正体
求められる振る舞いは変化しているにもかかわらず、今も昔も変わらず、なんとなく生きづらさを感じるのはなぜなのでしょう。
- 空気を読む = 沈黙、同調、自分の感情をしまっておくこと
- 自己主張 = 攻撃、衝突、正しさの押し付け
私たちは、無意識にこのようなイメージを持ってしまっているのかもしれません。
世の中の変化に真剣に向き合った結果、「どっちの道を選ぶのも怖い」となってしまったのではないでしょうか。
いかにも正反対に見えるそれぞれの考え方ですが、実はこんな視点もあります。
- 空気を読む = 相手の気持ちを尊重するための思いやり
- 自己主張 = 相手との違いをわかり合うための手段
見方を変えると、本質的には「相手を大切にする」という共通点があるのです。
共通点があるのなら、このふたつは両立できる気がしてきませんか?
「空気を読む」と「自己主張」は両立できる!
”想像”から始まるやさしさが、空気を読むこと。
”対話”から始まるやさしさが、自己主張をすること。
表現の形は違っても、根底には同じ「やさしさ」があります。
相手を尊重したいという気持ちがあれば、本音を打ち明けつつ、自分とは違う意見に寄り添うことは充分に可能です。
それぞれのコミュニケーションの良さを知り、両方を少しずつ取り入れること。
それができたとき、人間関係はよりバランスの取れた、心地よいものになっていくのかなと思います。
さいごに
空気を読む力は、決して時代遅れになったわけではありません。
むしろ、空気を読んだうえでどう動くか、自分をどう表現するかという高度なバランス感覚が今は求められているのです。
そのバランスが難しいとも思うのですが、少なくとも以前より、自分らしくいられる余地は増えているのではないでしょうか。
自分なりの「ちょうどよさ」を見つけたとき、「言うのも言わないのも怖い」という生きづらさから解放されるのではないかと思います。
コメント