SNSで「まさにこれ!」という感想を見つけて、安心したことはありませんか。
誰かが言語化してくれているのを見ると、自分の気持ちに名前をつけてもらったような気分になります。
でも、一方でこんなことを思ったこともあります。
「私も自分の気持ちを、自分の言葉で言語化したい!」
それはきっと、どんな言葉よりも共感できる、特別な感情のはず。
この記事では、「自分の感情を言語化する魅力」について考えていきたいと思います。
ネットに広がる「すでに言語化された感情」の良い点・悪い点
共感できる意見には、安心や発見がある
まずは良い点についてです。
冒頭でも書いたとおり、SNSで自分と同じ意見を見つけると、ホッとしますよね。
「いいね!」
「わかる!」
「ほんとそれ!」
心の中でこんな相槌を打てる投稿は、自分は少数派ではないという安心や、共感という癒しを与えてくれます。
また、自分とは別の視点から書かれた感想には、新しい発見があったりもします。
「全然気づいてなかったけど、言われてみると確かにそうだ!」
こんなふうに思える意見に出会えると、なんだか得したような気持ちになってきます。
他の人の感想を読むことは、理解や解釈を深めるきっかけになってくれることがあるのです。
自分の心が上書きされて「なかったこと」になる
今度は良くない点についてです。
ネット上には、自分が思ったこととは違う感想を書いている人もたくさんいます。
例えば、こんなとき。
毎週楽しみにしているドラマに出てくる、Aという人物。
仕事が早くて信頼されているAが、珍しくミスをした。
- 私の感想…「Aも完璧じゃないんだと思って、親近感が湧いた」
- 友達の感想…「いつものAらしくない。この程度のミスをするなんて、がっかり」
もし、友達と似たような意見をSNSでたくさん見かけたとしたら、どうでしょう。
まるで自分の感じたことが「間違っている」と言われているような気がしてくるのではないでしょうか。
すると、自分の意見に自信がなくなっていく。
気が付いたら自分も同じように、「がっかりしたよねー!」なんて言っている。
いつのまにか自分の気持ちが、「誰かの感想」で上書きされているのです。
それは、自分の感情が「なかったこと」になっているとも言えます。
人の言葉を頼りにすることには、思わぬ落とし穴があるのです。
人の言葉に頼らないためには、どうすればいい?
すぐに検索するのをやめてみる
- 映画や小説・マンガなどのエンタメに触れたとき
- 話題のスポットに出かけたとき
- 衝撃的なニュースを知ったとき
他の人がどう感じたのか、ついついすぐ検索したくなってしまいますよね。
それをぐっとこらえて、少し時間を空けてみるのはどうでしょうか。
まずは、自分の中に浮かんだ感情を、そのまま味わってみるのです。
例えば、映画を観て泣いてしまうくらい感動したときは、
「どんなシーンだったかな」
「どんなセリフを言っていたかな」
「表情はどうだったかな」
と、場面の詳細を思い出して、「自分の心に刺さったポイント」を拾い集めてみるのです。
焦らずにじっくり振り返るというのは、気持ちを言葉にするうえでとても大切な時間です。
うまく言葉にならないときは、いったんそのままにしてみる
「なんかモヤモヤするけど、言葉にするのが難しい…」
このモヤモヤは、心が動いた証拠でもあります。
気持ちがあいまいでスッキリしないときは、ノートやスマホのメモに「こういうときにモヤモヤを感じた」と記録しておくのもひとつの方法です。
すぐにはわからなかった新しい視点に気づくと、あとになってモヤモヤの正体が紐解けることがあります。
誰かと語り合う機会があれば、そのとき腑に落ちることもあったりします。
言語化は、すぐにうまくいかなくてもいいのです。
誰かの言葉に感動したら、自分の言葉に変換してみる
共感する言葉を見つけたら、それを「コピペ」するのではなく、自分の言葉になおしてみます。
このとき、「なぜ自分はそれに共感したのか?」を考えながら書くのです。
他の人の表現を「答え」にするのではなく、考えるヒントとして捉えてみます。
気持ちを理解するための補助線(=すでに言語化された気持ち)があることで、自分ならではの視点に気が付きやすくなることもあります。
「誰にも見せない文章」を書いてみる
誰にも見せないことを前提に感想を書いてみると、他人の目や評価を気にせず、本音が出てきます。
日記、箇条書き、慣れないうちはひとことだけでもよいと思います。
誰にも見せないからこそ、嘘のない自然な言葉が生まれてくるのです。

自分だけの感想には、どんな魅力がある?
人とちょっとだけ違うところに個性が隠れている
「この感想ものすごく共感するんだけど、ここはちょっと違う気がする」
こういった違和感には、自分だけの感情が眠っている可能性があります。
- あの場面では少し寂しさを感じた
- 他の人は怒ってたけど、私は笑ってしまった
そのちょっとしたズレこそが、自分らしさであり、おもしろさなのです。
「ズレ」を間違いだと思わずに拾っていくことで、自分の個性が輪郭をもっていきます。
自分なりの「好き」が明確になる
自分は何が好きで、何が嫌いか。
おもしろく感じることや、悲しくなることは何か。
感想を言語化し積み重ねていくと、自分がどんなときに心が強く動くのかが、だんだんわかってきます。
自分の価値観・世界観(=好み)がはっきりしてくるのです。
これを自覚していると、新しいものに出会ったときに、自分の好みに合うかどうかの予測が立てやすくなります。
また、自分の価値観を発信することで、投稿を見かけた人から「この人はこれが好きかも」とオススメをしてもらえるかもしれません。
自分だけの感想は、新たな「好き」を引き寄せる力を持っているといえるのではないでしょうか。
感情に「責任」が持てるようになる
「責任」という言葉を使うと、ちょっと重たく感じるかもしれませんね。
まるで、自分の意見が正しいものでなければいけないような気がしてきます。
でも、ここでいう「感情の責任」とはもっと個人の内面に寄り添ったものです。
「その意見はちょっと違うんじゃない?」
と誰かに言われたときに、
「正しいかどうかはわからないけれど、でも私は確かにそう感じたんだ」
と胸を張れるかどうか。
もしここで、「だって、これは他の人が言っていた意見だし…」と逃げたくなるなら、きっとそれはもともと自分の本音ではなかったということでしょう。
感情の責任とは、自分の本音を自覚することであると同時に、確かな自信でもあるのです。
自分で言語化した感情は、揺らがない
ここまでに挙げた、自分の感情を言語化する魅力3つをまとめてみます。
- 人とのちょっとしたズレ → 個性を楽しむ
- 価値観や世界観の明確化 → 好みを知る
- 感情の「正しさ」より「責任」をとれるかどうか → 自信になる
個性、好み、自信。
これらはすべて、自分という人間をかたち作る核となるもの。
だから、自分の内側から湧いてきた感情には芯が通っているのです。
「これは自分の本心だ」と納得できていれば、たとえ誰になにを言われたとしても、崩れることはありません。
それはネットのどこにも落ちていない、「揺らぐことのない感情」だと思います。
揺らぐことのない感情があるって、しあわせかもしれない
自分の気持ちに、他人の言葉ではなく、自分の言葉で輪郭を与えること。
それはときに面倒で、時間がかかって、うまくいかないことも多いです。
でも、そうやって自分と真剣に向き合い、自分の中から生まれてきた言葉には、「芯」があります。
それは、誰に何を言われても揺らがない「自信のある感情」です。
この自信のある感情こそが、本当の意味で“共感”を生む力を持つのではないでしょうか。
自分の言葉が、他の誰でもない、自分自身をしあわせにしてくれる―。
あなた自身をしあわせにする「心からの言葉」を、いつか私も目にすることができたらいいなと思っています。
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